日本共産党流山市議団
質問・見解
2007年02月17日 ”40年前から「流山民報」で議会報告”、日本共産党演説会での高野とも議員の訴え
 北部地域で活動しております高野ともでございます。私は4期16年、みなさんの願いを何よりも大切にし、その実現のために力を尽くしてまいりました。どうか5期目もみなさんのお力で議会へ送ってくださいますよう、心からお願いいたします。

 私ははじめて立候補した時から「みなさんの声をよく聞く。議会で発言する。議会の報告をする」この3つのお約束を守って働いてまいりました。
 議員になってすぐ、橋上駅になった江戸川台駅の階段が、足が痛くて登れないという声をお聞きしました。さっそく議会で取り上げましたが、当時全国的にエスカレーター設置の要望が出され、国会での追求で設置基準がつくられました。私はこれを受けて、運輸大臣に直接会い、自治会や住民のみなさんとともに、東武鉄道、流山市にも繰り返し求めてきました。その結果、橋上駅になって10年目、私が取り上げて4年目にようやくエスカレーターがついたのです。
 その後も、江戸川台のふじい薬局さん前の踏切拡幅、そして今度は江戸川台駅にエレベーター設置とトイレのバリアフリー化が予算化されました。
 私は16年の経験から、どんな小さな声でも議会へ届け、みなさんと力を合わせれば必ず願いは実現するということを学びました。

 もう1つ、私たちが誇りに思うことがあります。
 今から40年前の1967年3月10日に「流山民報創刊号」(流山民報創刊号クリック)が発行されました。私の母、吉野幸子が初めて市議会議員に立候補する時で、流山市政に対する日本共産党の政策が書かれています。
 それから議会のたびにその様子を報告する民報を発行し続け、現在152号になりました。アンケートでみなさんの願いを集めるという活動もずっと続けてきました。
 「市民が主人公」を掲げ、このような活動を営々と続けているのは、日本共産党だけだと思いますが、いかがでしょうか。

 みなさん、日本共産党は、議員定数が32から28へ減らされた中で、引き続き現有4議席を確保するためにがんばっています。
 流山市は4つのブロックに分かれているために、4人の議員がいれば地域の隅々からみなさんの声を聞くことができます。また、議会に4つある常任委員会すべてに所属して市民の請願や陳情を採択するためにがんばることができ、議会を一層ガラス張りにすることができます。

 私はかつて3議席の経験をしましたが、その時はどの委員会をあきらめるか、それこそ苦渋の選択でした。日本共産党のいない建設委員会では、マンション建設反対の陳情など出されても、ろくな議論もされずマンションが建ってしまう、私たちはただ傍聴するだけでした。こんな悔しい思いはもう二度としたくありません。

 みなさんの願いを真剣に取り上げる議員は日本共産党しかない、これは今も同じです。12月議会でも、小山小学校のPFI事業に関する請願・陳情の3時間に及ぶ委員会審議で、他の議員はほとんど発言なし。私だけが必死に追及したということは、傍聴していただいた方はおわかりのことと思います。

 みなさん、日本共産党の4議席がみなさんの願いを運び、草の根の運動と力を合わせれば、必ず政治を動かすことができます。
 私高野ともは、市議団の団長としてその先頭に立って全力でがんばります。どうかみなさん、私を始め4人の市議団を働かせてください。最後までのご支援を重ねてお願いいたしまして、私の訴えといたします。
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